豊道春海先生の業績

業績

大正3年(1914年)、36歳で瑞雲書道会を創設した豊道春海先生は、当時群雄割拠していた書道界を一本化し、わが国文化の一翼を担う芸術としての地位確立のために尽力され、その努力は日本書道作振会として結実しました。その後、日本書道作振会は泰東書道院となり、戦後、日本書道美術院として発展しています。

また、春海先生は、書道の「日展」参加にも戦前戦後を通じて尽力され、昭和23年(1948年)に実現、これにより未曾有の書道ブームが到来しました。

終戦後、GHQ(連合軍総司令部)の占領政策の一環として、学校での毛筆書道の授業が廃止されるなど、書道界の“冬の時代”にあって、春海先生は、自らGHQに赴いて書道復活を直談判、この熱意が実り、昭和26年(1951年)より国語科の中で書道の授業が復活しました。こうした活動と併行して日本書道連盟の結成(昭和25年)、また昭和33年(1958年)からは書を通じた日中友好にも尽力し、書の国際化の道を開きました。

豊道春海先生は、14歳で西川春洞先生に師事して書の道に入って以来、事故のない限り一日として筆から遠ざかったことはないといわれています。「一生稽古」を心得とし、書の良否を決するものはその人の心であり、そのためには常に心を豊かにし、気力を充実させていなければならないと述べています。また、独自の表現方法として超大筆による大字席上揮毫の先鞭をつけたことでも知られています。